番外編 全国に何千団体あっても、誰も実態を知らない──市民吹奏楽団という空白

「部活動の地域移行」という言葉を、ここ数年でよく耳にするようになりました。少子化と教員の働き方改革を背景に、学校の部活動を地域のスポーツ・文化団体へ移していこうという国の方針です。吹奏楽部も例外ではなく、「地域の市民吹奏楽団が受け皿になるべきだ」という議論が各地で起きています。

だが、ここで一度立ち止まって問いたいと思います。その「受け皿」の実態を、私たちはどれだけ知っているのでしょうか。

全国に何千団体──しかし「面」のデータがない

日本には、吹奏楽連盟に加盟する一般バンドだけでも数千団体が存在すると言われています。加盟していない任意団体まで含めれば、その数はさらに多くなります。規模の大小、活動頻度、運営形態、団員の年齢層──それぞれが異なる何千もの団体が、全国の地域で活動しています。

にもかかわらず、これらの団体を横断的に調査した体系的なデータは、ほぼ存在しません。

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断片的には存在する──でも「面」にならない

まったく何もないわけではありません。周辺領域には、断片的なデータや研究が存在します。

文化庁が定期的に実施する「文化に関する世論調査」では、音楽や芸術活動への参加率が調査されています。ただし対象は文化活動全般であり、「市民吹奏楽団に所属している人が何人いるか」を直接問うものではありません。

学術研究の分野でも、いくつかの先行研究があります。たとえば千葉圭説(2010)は日米の市民吹奏楽団を比較し、その社会的役割を論じました(「日米両国における市民吹奏楽団の社会的役割」北翔大学短期大学部研究紀要)。椎山克己(2006)は、日本の吹奏楽参加人口は800万人ともいわれるが、社会人になってからも継続できる環境が整っていないという構造問題を指摘し、コミュニティバンドの可能性を論じました(「生涯教育における吹奏楽活動の役割と今後の展望」久留米信愛女学院短期大学研究紀要)。

しかしこれらはいずれも、数団体の事例を深く掘り下げた研究です。全国の市民吹奏楽団を横断して比較・分析したものではありません。個別の「点」は存在しても、業界全体を俯瞰できる「面」のデータがない、というのが現状です。

吹奏楽連盟が持つデータも、コンクール参加団体数などの表面的な数値に限られます。コンクールに参加しない──あるいは関心を持たない多くの団体は、そこには映りません。

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なぜ調査が存在しないのか

これは偶然ではなく、構造的な問題です。

市民吹奏楽団の多くは任意団体であり、登録制度も統一管理の仕組みもありません。「市民吹奏楽団」という定義自体が曖昧で、一般バンド・職場バンド・NPO法人・同好会、どこまでを対象とするかによって母集団がまったく変わります。情報はウェブサイト・SNS・チラシに分散しており、データ収集のコストは高くなります。

研究の関心も学校吹奏楽(教育分野)やコンクール文化に集中しており、社会人が活動する市民吹奏楽団は言わば「研究の空白地帯」に置かれてきました。

そして、もう一つ見落とされがちな理由があります。市民楽団は基本的に、自分たちの音楽を楽しむために存在しています。 他の楽団が何をやっているか、どんな規模か、どう運営しているか──そういったことに、あまり関心を持たないのは自然なことです。競争しているわけでも、比較する必要があるわけでもありません。横のつながりが薄く、業界全体を見渡すインセンティブが、どの主体にも生まれにくい構造があります。

誰も悪くない。ただ、誰も必要としてこなかっただけです。

データなき議論の危うさ

こうした状況のまま「地域移行」の議論が進むと、何が起きるでしょうか。

受け皿として期待される市民楽団が、実際に何人の新メンバーを受け入れられるのか。指導体制はあるのか。練習場所や運営費はどう手当てするのか。こうした具体的な問いに答えるデータがなければ、政策も連携も「精神論」の域を出ません。地域移行を推進する側も、受け入れを検討する楽団側も、手探りで進めるしかない状況です。

楽団の数が多いことと、受け皿として機能できることは、まったく別の話です。

YPWOとして思うこと

YPWOはNPO法人として、自分たちの活動を可能な限りオープンにしていきたいと考えています。団費の使途、演奏会の収支、団員の構成──こうした情報を発信することは、「市民楽団の実態」を少しずつ可視化することにもつながります。

椎山が指摘した800万人という元経験者の数が示すように、潜在的な担い手の規模は決して小さくありません。問題は意欲ではなく、活動を継続できる仕組みと、その実態を把握するデータの不在にあります。

各団体が自らの活動を記録・発信し、それを積み重ねていくことが、この分野のデータ整備への現実的なアプローチかもしれません。地域移行の議論が加速するいま、問うべきことを問う姿勢を持ち続けたいと思います。

YPWOはこれからも自団の情報を積極的に公開しながら、ITを活用した市民吹奏楽団のリサーチをYPWOラボを通じて継続していきます。

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